ブログトップ

NEWS & EVENT

a9records.exblog.jp

目くじら立てずにつるセコライフ

前回の寄稿で、某ジャーナリストさんの釈放時期も近かったので、「自己責任とか文句垂れる時間なんて無駄だから、つるピカハゲ丸でも読んでろ」みたいな事を書きまして。




意外に自分の周りの人から、「どーゆーこと?」とか「無駄とはなんだ!」みたいな事を投げかけて来る熱い人が多かったので、以前に他所に書いた事を転載します。




ちなみに以前の人質事件の時に書いたモノです。




あ、どーもCROWです。




今日は真面目に。




(以下、過去に他所に寄稿した内容を加筆編集)




国家は思想、信条、活動に問わず自国民を守る義務がある。当たり前のこと。




ヒューマニタリアニズムな活動は、国家の方針がいかなるものであっても、その信念を貫くことこそが活動の本質。というかそれが国際的な解釈であり常識。




政府が制限する中で活動するなんて事はヒューマニタリアニズムとは言えない。




で、国家は憲法を以て国民がコントロールし、その憲法の対象は統治権力。ちなみに国民を対象にするのは法律。




法的な制御や命令が無い限り、政府は国民を制限することなんか出来ないのは当たり前。つまり、法的命令のない限り、国家に自由に逆らい得るのが国民であるというのが、憲法的常識。




「変な人」、「ルール違反」とかほざいて自己責任論だとか喚き立てること自体が無駄な時間。 




・政府組織が意思決定や活動を開始する前に、NGOや民間レベルでの現地活動が開始されるのは国際的な常識。




そして、その現地活動している方々が危険にさらされるのは、自国の派兵や意思表示が原因というのも国際的な常識。




それを知りつつ、派兵したり意思表示を政府は行う。今回(※後藤さんの時期に書いてます)では首相が援助を表明。(英語訳では、テロと戦う国家への支援とはっきり訳されている)。




この政府は私たちが選んだ政府であり、政府が行うことは「国民的決定」。この国民的決定に自己責任が問われるのも国際的な常識。




つまり、彼らに自己責任を問うのであれば、前提条件として我々にも国民的決定の自己責任はあるのではないか。




・(救出する側の命も危険にさらされるという意見に対し)国民の憲法的な命令に服することは、公僕である役人や公務員の本務である。例えそれが犯罪者だろうと、国民の救出に全力を尽くすのは憲法的義務である。




・統治権力は国民を保護する義務を憲法において負っている。憲法とは、この日本国を建国した人達が、どういう国にしようかと設定した設定条件の覚え書きであり、統治権力はこれに永久に従わなければいけない。つまり、憲法は立憲意思にのみその本質があり、世論や国民の全体意思は全く関係ない。統治権力は国民が選ぶが、統治権力が憲法により義務を負っている以上、国民の全員が救出に反対しようが、その全体意思は全く意味が無い。




・劣化した民主主義の感覚。民主主義の本質は多数決であり、皆で出した意見は正しいという勘違い。大勢が出した意見、大勢が選んだ政府、だから間違いはないという錯覚に陥りやすくなっている。民主主義の本質は参加と自治であり、多数決ではない。しかし、多数決という感覚がシステムの中に組み込まれてしまっており、圧倒的多数の意見のみが、正義を帯びてしまう現象が見られる。より影響力の強い人物、発信力のより多い人物の意見が、世論に対し大きく作用した場合、今回の様な「助かって欲しい」という感覚は持ち合わせているのに、「自己責任」という意見に押し流される人物まで出てくるという事象が表れやすいという問題がある。




以上、転載記事。




つまり、何が言いたいかと言うと、自己責任論を熱く語っても無駄だから、そんな暇あるなら漫画でも読んで屁ぇこいて寝ろ。




ってこと。




また誰かに怒られるな(笑)


a0125753_09165701.jpeg



TEXT CROW




[PR]
by a9records | 2018-11-15 09:15 | CROW | Comments(0)
<< デビューゥ いざ、大阪凱旋CDショップ!! >>